Rainbow Turtles

メルボルンでの生活

002- 英語で筋肉痛?

“The limits of my language means the limits of my world.”– Ludwig Wittgenstein (1889-1951)

 

皆さんこんにちは!寒い日が続きますね。今朝バス停に立っていたら、たまたま幼稚園のスクールバスみたいなのが通って、乗っていた子供たち、20人くらいに笑顔で一斉に手を振られて心が洗われました笑

 

さてさて本日のトピックは「英語で筋肉痛」です。何のことだと思う人もいれば、ピンと来る人もいると思います。

 

 英語を喋る時、頬の筋肉、複雑な舌の動きなど、日本語と比べると様々な口の筋肉を使用すると思います。そのせいで起こるのが口周りの筋肉痛です。おそらく英語を学習していく上で殆どの人が一度は英語筋肉痛を経験するのではないかなと思います。

 

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このことから、英語学習というものは本当に筋トレと一緒なんだなと感じています。毎日コツコツ地道に練習していけば結果を得ることができる。しかしただ単に量をこなせばいいという訳ではない。質だったり、自分に合ったやり方を模索して、最善のものを追求していく。そしてある一定期間トレーニングしないと衰えてしまう。

 

 

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私も英語を本格的に勉強し始めた時は、色々な人の勉強法を参考にして実践していました。洋書を読む、洋画を観る、洋楽& Podcastを聴く、英語で日記をつけるなどなど挙げればきりがありません。ただ長続きするものは、だんだん試していくうちに自然と絞られていくと思います。それに英語学習は筋トレと同じで毎日の継続が大切だと思うので、無理のない範囲で続けられる、自分の好きな英語学習法を見つけるのが最適だと考えます。毎日新しい単語を3つ覚える、英語で短い記事を一つ読むなど、小さなことで十分だと思います。私はPodcastでバイリンガルニュースというものを時間のある時に聴いています。これは日英バイリンガルである二人が様々なニュースをテーマに意見交換する興味深いものです。時事問題に興味がある方にはかなりオススメです!

 

言語能力というものは使わなければ錆びていってしまうものだと思います。さらに言語は生き物の様で、日々退化し進化していくものなので、ある一定の期間触れていないだけで言語がもつ新鮮さを維持することは難しいと私は考えています。

 

そしてもう一つ、母国語の言語レベルを上げることが英語を上達させる、遠回りの様で一番の近道だと考えています。母国語である日本語でさえ書けないこと、言えないことを英語で表現するのは到底不可能なことです。自身が持っている辞書の厚みが薄ければ薄いほど、英語での表現もそれに比例してしまうのではないかと思います。それゆえ英語学習に疲れた時、一息つきたい時には、原点である日本語に戻ってみるのも語学上達の秘訣かもしれません。その過程で出会っていく単語や表現で、「これって英語でどういう風に言えるのだろう?」と調べていくうちに、高度な言語能力が育っていくと思います。

 

話が変わるんですが、私自身3年前にメルボルンで交換留学生として現地の大学生に混じって一緒に勉強していました。私にとっては初めての海外生活でそれはそれは沢山のことを学んだ一年間でした。取り分けその中での一番の苦労はやはり英語でした。授業で自分の意見を表現することができなくて、毎日もどかしさを感じ、まるで自分が何もできない赤ちゃんみたいだなと.... 

 

今もしかしたら、英語がなかなか上達しなくて悩んでいる人がいるかもしれません。その人たちに自信を持って伝えられるのは「必ず上達してます!」ということです。私は英語で苦しい思いをする時は必ず3年前の交換留学時代を思い出します。その時の英語力を今の自分の英語力と比べると自然と楽になるんです。「あ、3年前よりまだましだって・・」。だから皆さんも苦しい時は、一年前だったり、英語を本格的に勉強し始めた時のことを思い出してみてください!絶対気持ちが軽くなると思います。それでも心がズシっと重いままの人は、あの中学一年生の時アルファベットの書き方を一所懸命練習していた頃を思い出してみてください!どうでしょう?笑

 

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それに加えて、言語を学ぶということはその国の文化も同時に学んでいく必要性があります。なぜなら文化と言語は密接に関わっているからです。どのように人々が考え、関わり、社会を形成していくのか。それを理解しながら言語を学んでいき、なおかつ日本人としての文化を忘れずに上手く融合していくことが、真の「国際人」になるということなのかもしれません。

 

最後に、ウィーン出身で20世紀前半に活躍した哲学者、ウィトゲンシュタインがこんなことを言っていました。「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」。日本語、英語に限らず、言語を磨いていくことで思考が広がり、自身の世界も広がっていくのかもしれません。

 

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